貴方と唇



「左近」
「はいはい」

少しだけ背伸びをして、気持ち唇を突き出す三成を見つめながら左近は頬が
だらしなく緩んでしまう。

最近、ひっそりと朝の恒例行事になっているこの時間が楽しみで仕方ない。

「左近」

早くしろ。と言わんばかりに唇をまた少しだけ突き出す。

―― 堪らないねぇ。

昨夜、三成と共にしたベッドの中でも同じ言葉を浮かべた事をふと思い出し、
背中から下半身に掛けて知り過ぎている快楽が走り抜ける。

若造でもあるまいし。そんな事を思いながらも自分よりも一回り以上も
年下の三成に身も心も全てを奪われ惹かれているのだ。

「…さこん」

不貞腐れる様に呼ばれ、左近はそっと身を屈めその顏を覗き込む。

「背伸びはしなくても結構ですよ。左近が屈みますから、疲れちゃうでしょう?」
「うるさい。お前がデカすぎるのだ!俺は別に低くないぞ!」
「三成さんの身長が低いなんて左近は言ってないでしょう。むしろちょうどいいですよ」
穏やかに返しながら左近はニヤリと笑い、三成の耳元に唇を近づける。
「さ、さこん」
「色々と便利だと思いませんか、左近と三成さんの身長差は」
「い、意味がわからん!」
「教えてさしあげますよ」
「結構だ!そ、それより早くしろ!遅刻するぞ!」

目の前の男の厚い胸板を両手で押しながら、それでもしっかりとアイロンの掛けられている
スーツが皺にならない様に気を付ければ、しっかりと結ばれているネクタイが少しだけ曲がっている
事に気が付く。

「だらしのない」
「直してくださいますか?」

何処か嬉しそうにお願いをしてくる恋人を上目使いで軽く睨みながら、三成はきゅっとネクタイを
直してやる。
上手く結ぶのはまだ苦手だが、このくらいなら出来る。

「ほら、直ったぞ」
「ありがとうございます」

ネクタイに添えられた三成の白い指先を左近は素早く掴み、少しだけ引き寄せる。

「おいっ!」
「さっ、早く済ませましょう。このままじゃ二人で遅刻だ」
「なら早くしろ」

顏を上げて自分を見つめてくる三成に笑みを返しながら、左近は掴んだ指先はそのままにして、
もう片手でスーツのポケットを探りそれを取り出す。

片手でも使える。という宣伝文句のそれは、シンプルな色の装丁と無香料。
もっぱら最近の三成のお気に入りだ。

きゅっと中身を出せば三成がゆっくりと目を閉じる。
条件反射の様なその仕草に愛しさが溢れ、左近は丁寧にその唇にそれを塗った。

冬になると三成の唇は痛々しい程に荒れてしまう。
本人も気にしてか舐めてしまい悪循環。
リップクリームを進めたが、どうにもこういう事を面倒くさがる綺麗な人を何度も諌めたが、習慣にならなかった。
苦肉の策と言いながら左近に取ってはこの上ない幸せな時間を提案した。
―― 仕方ないですね。左近が毎朝塗って差し上げますよ。
という言葉で決着がついたが、最初は不満そうにしていた三成も、思ったよりも気持ちの悪くない感触、匂いもしない、
そして何よりも冬になる度に悩まされていた不快な痛みがなくなったのだ、今ではこうしてちゃんと素直に毎朝の恒例行事として
自ら進んで、その美しい唇を左近に差し出す。

「はい、出来ました」
「うむ、助かる」

きゅっと片手で中身を仕舞い、左近は優しく微笑む。
閉じていた目を開き、自分に礼を言う三成の表情が堪らなく可愛くて、そっとその頬に触れる。

「三成さん、ちょっと今日は付け過ぎてしまったみたいです」

秘密事を告げる様に小さく囁けば三成がそっと目を細め、絡め合っている指先に力を込めながらもう片手でネクタイを捕える。
左近がわざとらしく驚いた顏をした瞬間、互いの唇がぶつかる様に重なり合う。

「ん…っ、何が今日は、だ…っ、今日も、だろうが」

口付けの合間にそう囁く三成の唇に甘く噛み付き、左近は主導権を握る。
身を屈める様にしながら片手で三成の腰を抱き、互いの間の少しの距離を埋め合う。
絡めた指先を解かないのは、互いに互いにこれ以上触れないための束縛。

離してしまったら、遅刻が決定してしまうからだ。

互いに時を見計らって唇を離し視線を合わせる。

「折角直してやったのに、ちゃんと自分で直すのだぞ」
「このままでも構いませんけどね」
「馬鹿者」

恋人のネクタイから手を離せば、朝の二人の時間は甘く終わりを告げる。






2013022

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