不器用でかわいい人。



ぎりっと三成が奥歯を噛み締め鈍い音が響いたのが遠目から分かり、左近は目を細める。
実際には聞こえる筈がないのだが、男にはそう判断出来た。

鉄扇を荒々しく振り上げ、幾多の敵を散らしいく姿はまさに武人。

大公お抱えの政治人と揶揄られているが、実際の三成は戦場に出れば鬼神と呼ばれている筆頭家老の
助言も時には聞こえない振りをして、無茶苦茶な戦をする事がある。

基本的に頭に血が上りやすいのだ。

揚句に口が悪い。
無駄に回転の良い頭から飛び出す言葉は鋭い刃物の様に相手を射抜く。

普段からそうなのだ。

相手を敵とみなした瞬間、幾重にもそれが増し、左近は何度も本気で三成を怒鳴りつけた。

―― 無駄な言葉を吐いて相手の怒りを上げてどうするおつもりか!

―― ふん、知った事が。先に口を切ったのは相手だ。俺はそれを返してやっただけだ。

―― 戦場でなさる事ではない!

ぴしゃりと撥ね付ければ流石に三成も分が悪いと思ったのかそれ以上に何かを言い返しては来なかった
が、その後はむっと眉を寄せ切れ長の目尻を吊り上げながら采配を振るった。

小さかろうが大きかろうが、戦なのだ。
血が流れ、命が散る。

秀吉の命令で出向いた今回の戦場は、様子見をしたら引き揚げろ。との事だが、相手が悪かった。
三成と昔、何度もやりあった事のある大名があちら側に居たらしく、左近は溜息を付く。

「殿、お分かりだと思いますが、そろそろ引き揚げますよ」
「…あやつの首を秀吉さまへの土産にどうだ」
「…馬鹿な事を仰らないでください。今回は様子見です」
「………」
「本気じゃないくせにその様な物言いをなさるからあらぬ誤解を招く」
「うるさい」
「うるさくても鬱陶しいと思われようが、左近は言い続けますよ」

ぷりぷりと怒る三成の背中に声を掛けながら最後は穏やかに告げる。

「…左近」
「はい?」

ちらっと振り向いた三成は不機嫌そうに眉を寄せ、涼しげな目元を鋭くしている。
だが、この世でたった一人。

その眼差しの奥の真実に気が付く男が居る。

石田治部少輔三成は、頭も切れるしその政の才能には皆が舌を巻く。
だが、決定的に致命的な点がある。

悪筆なのだ。
乱筆・拙筆・稚筆・走り書き。


丁寧に書けば風格のある達筆な文字を操れるくせに、時間が勿体ない。
文字なんぞ読めればいい。と言い放ち一向に改めない。

―― 殿、少しはこのミミズの這ったような文字をどうにかしなさいよ。
―― 読めれば良いのだ。
―― 読めないから言ってるんですよ。
―― 読めたではないか。
―― いえ、読めないからこうして左近が口煩く幾度も忠告しているんです。
―― 左近は読めるだろう。

悪意のない素直な音で返され、左近は一瞬言葉に詰まってしまう。
叱りつけて改めてもらわなければいけない。
それなのに、三成のこんな飾らない不器用な子供の様な部分を真正面からぶつけられてしまえば、
堪らない愛しいが溢れてくる。

こんな時、左近は困った様に笑いながら己の中で思う。
三成と想いを重ねてから、互いの年の差を何度か心に留めた事があったが、今はこの年齢の差に
感謝をしたい。
無駄に年を重ねている分だけ、隠せる感情がある。
今すぐにでも抱きしめたい衝動。
どうしょうもない愛しさを押え付ける事が出来る。
そうでなければ、小僧の様に三成を貪り続けてしまう。
欲だけではない想いを、この年になり始めて知った。

―― あのね、左近だけが読めてもしょうがないんです。

言い聞かす様に少しの刹那の後、左近が優しく返せば、三成の色素の薄い眼差しが揺れる。

―― ふん。

逸らした視線と染まった頬を眺め、左近は本格的に苦笑を一つ。
己を押え付ける事と三成の心を察する事にこうして長けていく己が嫌いではないのだ。


「まだ叱られたいですか?」
「…俺は、左近」
「はい」

くるりと体の向きを変え、三成は背筋を伸ばす。
誰の前でも屈しないその強い眼差しと鮮やかな美貌。
女の様な。
女みたいな。
そんな言葉を三成の周りの者は、口にする。
侮蔑で言う者がいるが、実際は逆だ。
どう表現していいか分からず、思わず人はそう口にする。
己の中での美意識が美しい女子なのは男としては当然の事だ。

綺麗な顏をしている。

だが、左近は思う。

女子の様に綺麗な顏の奥に見える芯の強さが、三成の本当の美しさなのだ。
堅物・横柄・偏屈。
佐和山のお殿さまをそう評する人物は沢山が居る。

三成の本当は近づいてみなければそれは解らない事だ。

誰よりも義に熱く、何よりも志を貫く強さはこの天下で一等だと左近は思っている。

「お前が何を言おうが、鬱陶しいとは思わん」
「承知しておりますよ」

軽く目を伏せた男を見上げたまま、三成はうむ。と小さく頷いた。



―― あぁ、何て不器用でかわいい人。






20120228

inserted by FC2 system