参った。



それは三成の悪い癖だった。

私室でも政務室でもとにかく至る場所で手にした文を開き確認してしまう。
新たに見直さなければいけない物や、早急に指示が必要な物。
近況を知らせる、またはその反対。
そして、献上された物資への礼状。
とにかく色んな内容の物が日々届く。

家臣から手渡されるのは大体が部屋の中でだが、三成は案外忙しない。
小姓時代の癖なのか、自分の地位をいまいち理解していないのか、屋敷の中を歩き回る。
それなのに、詰める時はいくら声を掛けてもてこでも動かない。

―― 殿、どうしてそう忙しないのですか。少しは落ち着いてくださいよ。今日は一日ゆるりとお休みしてくださると約束したでしょう。
―― したか?
―― えぇ、しましたよ。この左近とね。ほら、ゆびきりだってしました。
―― ふっ、昨日も思ったが左近は小指まで男らしい。
―― なんですかい、そりゃ。
―― ゆびきりなんぞ久しぶりにした。
―― そうですか。殿はどうやらこの左近としたお約束はすぐに忘れてしまう様なので、ちゃんと記憶に残る様にさせてもらいましたよ。
―― 嫌な言い方をするな。ちゃんと憶えている。
―― なら、お休みください。お部屋で寝っ転がって庭でも眺めたら如何ですか?後でお茶と何か甘い物でも運びますから。
―― 運ばせますではなく、運びますか。
―― えぇ、左近が運びます。
―― なぁ、左近。
―― はい。
―― 休みとは暇なものなんだな。


その後、左近が盛大に吹き出し三成は少しだけ臍を曲げた。
本当の事を言っただけだ。と思いながらも頬を膨らませ、その日は左近の目を盗んで相変わらず城の中を歩き回った。


そして、今日もそうだ。


殿、殿と後ろから必死に追い付こうとしている小姓の声に返事はするが、その足は速度を変えない。
歩きながら後ろから文を手渡すわけにもいかずにおろおろとしている姿を左近が見つけたのはすぐの事。

「殿、いい加減になさいませ」

後ろから追い付き、小姓を抜かせば必然的にそのすぐ前に居る三成の横に立つ事が出来る。
そっとその腕に触れ、足を止めさす。
言葉は厳しいが、真横から三成を覗き込む様にして優しい眼差しを向ければ、すぐに不思議そうに鼈甲色が男を映す。

無意識だとは分かっているか、些か昼にしては艶めかしい。
そういう関係なのだから不思議ではないが、どうにも三成は左近に対して警戒心が無さ過ぎる。

無論、警戒されたらされたでいい年をした男が本気で傷付いてしまうのだが。

「どうした左近、そんなに慌てて。急用か?」

呑気に返され、左近は苦笑してしまう。

「慌ててるのは殿でしょう?童ではないのですから、少しは落ち着いて行動しないと駄目ですよ」
「…俺は落ち着いてる」

切れ長の眼差しで鋭く返して来るが、何処か子供が不貞腐れた様な印象を与えるのは相手が左近だからだ。
仕方ないですねぇ。と呟き男は小姓の手から幾つかの文を預かる。

「ご苦労だったな。追い掛けっこはここまでだ。下がって良いぞ」
「左近!」

頭を下げぱたぱたと走っていく後ろ姿を腰に手を当てたまま見つめ左近は、なんですか?と呑気に返事をする。

「俺は別にあやつと遊んでいたわけではない」
「ではすぐに呼ばれた時に止まってあげなさい。どう考えても今のは殿が悪いですよ」

ぴしゃりと言い返され三成はぐっと詰まる。
別にわざと足を止めなかったわけてはない。
頭の中で弾き出していた数の帳尻が合わずに何度も繰り返し数を捏ね繰り回していたのだ。
小姓の声はちゃんと聞こえていたし返事はした。
ちゃんと足を止めなければいけないとは分かっていたが、中々それが出来なかった事は事実。

「…悪い事をした」

既に姿が見えない小姓の去っていた廊下に視線を向け三成は小さく呟く。
皆、それぞれの仕事があり日々忙しく働いてくれている。
石田家家臣は、いわば三成の手となり足となる存在だ。
いくら主であるからといってその者達の仕事に支障をきたす様な行動をして良い筈がない。

「殿」

しょんぼりと肩を落としてしまった三成のつむじを見つめ、左近はゆるりと指先で顎を掻く。

―― 参ったね。

三成の家臣になり、その人を知り誰よりも近い存在になった。
最初は正直仕える気なんて更々なく、今や天下人となった秀吉に、三成をどう思う?と問い掛けられた時も曖昧に言葉を濁した。
既にその時、石田三成という人物が豊臣秀吉の寵愛する子飼いの中の一人であると知っていたからだ。
すなわち、良い印象は一欠けらもなかった。

頭は切れると思ったし、左近に男を愛でる趣向はなかったが、それでも綺麗な顔立ちは素直に美しいと思った。
鉄扇を獲物として扱うのを見た時は、その容姿に合い過ぎていて思わず感心してしまったが、
華奢だと思った体躯から繰り出される素早い動きと嵐を巻き起こす重い一撃に驚かされたのはその後すぐの事。

共に時間を過ごす様になったから、色んな事を知った。
口は悪いが、心根はこちらが驚く程に真っ直ぐで利よりも義を重んじる。
頭は切れるが、何処か抜けていて左近は生まれたばかりの赤子相手に説教をしている気分になったくらいだ。
だが、それら色々に事を全て含めて島左近を筆頭に石田家家臣は皆、このお殿さまを慕っている。

他で横柄者と言われ様がなんだろうが、三成その人に接してみればそれはすぐに分かる事なのだ。

それに。と左近は思う。

心を砕いた相手に対しての三成の態度は、何というか堪らないものがある。
いい年をした自分がこんな風に相手の一挙一動に振り回され、表情には出さないものの心の臓が甘く握り潰される様な感覚に
日々悩まされとは予想もしなかった。

それが嫌じゃないからまったくもって困ってしまう。

今だってそうだ。
本当ならちゃんと言い聞かせて戒めて、悪い癖を直す様に忠告しなければいけない。

だが、こんな表情を見せられてしまっては叱る所かこの腕の中に引きよせて滅茶苦茶に甘やかせてやりたくなってしまう。

「左近?」

自分を見つめたまま黙ってしまった男を不思議そうに見上げた瞬間、三成はぼっと一気に頬を染める。
それはすぐに耳と首筋にまで伝わり、幾秒も立たない間に茹蛸の様なってしまう。

「と、殿?」

驚いたのは左近の方だ。
確かに三成に声を掛けそのまま黙ってしまったが、何もしていない。
二人の距離は近いが、触れるためには手を伸ばさなければいけないし、その赤く染まった形の良い耳に睦言を囁くには左近が腰を曲げる必要がある。

「し、痴れ者っ!」
「は?なんですかいきなり」
「い、いきなりは左近だろう!」
「左近は何もしちゃいませんよ」

至極真っ当に返すが、三成は引かない。
綺麗に染めた真っ赤な目尻で左近をきっと睨み付け、両手で男の襟元を掴みぐいっと引っ張る。

「っ、どうしちゃったんですか?」

引き寄せられるままに身を屈め、怖がらせない様に片手でその腰をゆるりと抱き、もう片手で触り心地の良い髪を撫でてやる。
甘えられているのだと思えば知らずに頬がだらしなくにやけてしまう。
出会った頃の三成なら、あんな風に睨んだ後は左近の向う脛に蹴りの一撃でもかまして走り去っていっただろう。

こんな風に留まり、不満をぶつけられるのが嬉しい。

「…んな、で…るな…日も、あ、明るい内…からっ!」

左近の胸元にぐりぐりと額を押し付けながら、三成はもがもがと言葉を吐き出すが羞恥心が前に出過ぎていて何を言っているのかいまいち分からない。

落ち着かせるために、左近は暫くその体を抱きしめながら、髪を撫で続け互いの心臓の音だけを重ねる。

もぞりと体を動かした三成がそっと顏を上げれば、そこには穏やかな男の眼差し。

「とーの、落ち着きました?」
「う、うむ」
「それは良かった」
「…左近が悪いのだぞ」

少し前の様とは打って変わり三成の声は落ち着きながらも甘い。

「左近が悪いのなら謝りますよ。でも理由がわからない」

教えてください。とこつんと額を合わせれば、三成が軽く睨む様な視線を向けて来るが、照れ隠しだと左近には分かっている。

「さ、さこんが」
「さこんが?」
「ひ、日もまだ明るいのに」
「確かにまだおやつの時間までは大分ありますな」
「左近!」
「はいはい、続けてくださいな」
「あ、あんな…っ!」
「あんな?」

合わさった額を少しだけ離し三成は構える。
やばい。と思った瞬間には既に遅く、思いっきり頭突きをかまされ左近はぐらりと揺れた。

「ふ、ふしだらな目で見るなっ!馬鹿者っ!そういうのは夜にだけしろっ!」

少し前に小姓が走り去って行った廊下を脱兎のごとく走り去る背中を視界に捕え、左近は片手で額を押えながら肩を揺らす。

「ったく、参ったねぇ」

あんな可愛い顏して、何て事を言ってくれるのだ。

触れる事も、言葉をかける事も我慢したのに、視線だけは嘘をつけない。
四六時中、想っているのだ。

「では、夜なら良いって事ですかい」

くくっと笑いながら左近はもう一度、参ったねぇ。と呟いた。






20120111

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