*共に、共にの続きです。




何処までも、何処までも。



石田三成率いる西軍が天下分け目の戦に勝利した。


そして季節は年を越し、佐和山にも今年はじめての雪が降る。


「…雪、か」

小姓が起こしに来る大分前に目覚め、三成はそっと襖を少しだけ開いた。
行儀が悪いとは分かっているが布団から出る気になれず、
体にそれを巻き付けたまま外を覗く。

昨夜、灯を消す時に庭は白くなかった筈だから深夜に降り出したのだろう。
しんしんと地面を白く染めているのはぼたん雪。

触れたいと思ったが、寒い。

だけど。


―― 綺麗ですな。

―― 左近は雪が好きなのか?

―― おや、殿はあまり好まないみたいですな。あぁ、寒いの苦手ですもんね。

―― 溶けてしまうだろう。

―― 溶ける。これはまた意外なお答えだ。

―― 形あるものが永遠だとは思っておらぬ。ただ、あまり好きではない。

―― なら、眺めるだけならどうですか?折角の雪景色はこの季節しか拝めませんよ。


季節の色や風の香を意識する様になったのは、誰よりも口煩い筆頭家老のお蔭だ。
政務が立て込んでいたり、抱えた案件の出口を探している時、あの男は自然に三成を
甘やかしてくれた。

それは時に、言葉でぬくもりで。


「…左近」

今、ここに居ない男の名前を呼び三成は細く開いた襖を広げ、廊下に出る。
縁側にしゃがみ込み、片手でそこを掴みもう片手で地面に触れれば酷く冷たい。

真っ白な場所にぽっかりと穴が開き、不思議な気持ちになる。

それから何度か同じ動作を繰り返し、三成は雪を拾う。

触れなければただの白い世界。

一度触れてしまえば冷たく溶ける。

指先が凍り付く様に冷えていき、感覚がなくなっていく。

痛みすら感じない。

ふと背筋に走った悪寒は寒さのせいなのか、それとも…この手で奪った魂の嘆きか。

目を伏せ、三成は唇を噛み締める。


背負っていかなければいけない。

戦に勝利したからといってそこで終わりではない。
むしろやらなければいけない事は山積みだ。

ふいに鼻の奥がつんとして三成は唇を噛み締める。

冷たい。
痛い。

視界がぼやけてきて軽く首を振り、白い世界から視界を廊下に戻す。

気配を感じたのだ。


「…左近」

小さな小さな呟き。


「殿!」







廊下の角を曲がった瞬間、左近は思わず大きな声を上げてしまう。
その瞬間くらりと眩暈がしたが、構ってなんかいられない。
縁側の端にしゃがみ込み今にも白い地面に転がってしまいそうな体は酷く小さく見えた。

戦場ではその体を全て隠せるのではないかという程の大きな扇子を操り、
家臣が何度注意しても前線に飛び出していく。

それが石田三成だ。

誰よりも勇ましく、そして美しい人。

守りたいとただひたすら願った。
その志をその想いを貫かせたいと。

そのためには己の何を犠牲にしても構わないと思った。

「殿!」

視線が合っているのに何処か呆けている三成の目の前に座り込み、その腕を掴む。

「な、んだ」
「なんだじゃないでしょう!そんな薄着で何してるんですか!凍えちまいますよ!」

怒鳴るというよりも、言い聞かす様にして左近は掴んだ手に力を入れる。

「寒いのか?」
「え?」

視線と同じで気の抜けた様な音に目を細めれば、三成の震える指先が左近の頬に伸びて来る。

「っ、殿…」

あまりの指先の冷たさに左近の背筋に嫌な汗が一気に溢れ出す。

思い出すのは三成が全てを賭けて挑んだ戦。
不甲斐ない事に途中で腹に種子島を何発か喰らってしまい、暫しの休憩の後に戦場に飛び出したが、
正直記憶が曖昧な所があり、脳裏に焼き付いてるのは三成の背中と声。

―― 俺の背中を最後まで守ったな、左近。
―― 当たり前ですよ。
―― 左近。
―― はい。
―― 感謝している。

血の色、土の匂い、命の音。

本陣の奥、殿に戻った瞬間、左近の意識は途切れた。

次に目が覚めた時は一瞬の事だった、体の血が全て抜き取れたかの様な寒気を感じながらも頭中は熱い。

―― 休め、左近。

うっすらと開いた瞼の上に置かれた手の感触がとても心地良くて左近はまたすぐに意識を落とした。




「寒いのか?」

二度目の問い掛けはとても低い声と鋭い視線。
それはまるで戦場に居る時の三成で、左近殆ど無意識にその体を抱き寄せる。

「こんなに冷たくなって、雪がそんなに気になったんですか?」
「…左近」
「雪遊びするなら左近も誘ってくださいよ」
耳朶に唇を寄せながら囁けば、そこがあまりに冷たすぎて左近は舌でねっとりと舐め上げる。
「っ、おま…えっ」
「冷えちまってるじゃないですか。まったく、左近が居ないと殿は駄目ですなぁ」
軽口を叩きながら腕の力を少しだけ抜き、三成の顏を腕に閉じ込めたまま顏を覗き込めば強い光を秘めた眼差しが返ってくる。
「左近」
「はい」
「左近だな」
「こんな男前この日の本の何処を探してもここにしか居ませんよ」
「…まったく図々しい男だ」
「殿です、な」

互いに互いを確認する様に指先を伸ばしたのは同時、頬、唇の端に触れ…引き寄せられる様に唇を合わせる。

「さこ、ん…」
「殿」

呼びあい、唇が触れ舌が交ざる。

確認する様にゆっくりと時間を掛けて味わう様に。

「傷は、平気なのか?」

快楽が少しだけ混じった三成の声は少しだけ掠れていて、左近はぐっと喉を鳴らす。

「左近は頑丈ですからな、こんな傷大した事ありません」
「嘘を付け。何日も目を覚まさなかったではないか」
「疲れが溜まってただけです」

飄々と言い返す男を見上げながら三成は呆れていいのか笑っていいのか分からず、その厚い胸に顏を深く埋めた。

「馬鹿者、あまり心配を掛けるな」
「申し訳ありません」
「左近」
「はい」
「…俺との約束を守ったな」
「殿を独りには出来ませんよ」
「そうか」
「そうです」
「なら、左近」

埋めた場所から少しだけ顏を上げ、三成は掌で力強く動いている左近のそこに触れる。

「この命が尽きるまで共に、居ろ」

吐息を吐き出す様に告げたそれは三成の心の奥の一番の本心。
心臓の上に置かれた白い手の上に己のそれを置き、握りしめる。

「命が尽きても御傍におります」
「とんでもない事を言うのだな、お前は」
「この左近めは、図々しい上に欲張りなんです」
「そうだな、お前はそういう男だ」
「えぇ、殿が一番知ってますものね」

わざとらしく片頬を上げて意地悪く笑えば、途端に三成の顏が真っ赤に染まる。

「っ、馬鹿者っ!」
「おや、殿は案外聡いですな」
「な、なにがだ!」
「こういう事にかんしては鈍感でしょう?」
「こ、ここここいう事とはなんだ!」
「説明してもよろしいので?」
「よ、よくないに決まってるだろう!」
「あ、殿」
「こ、今度は何だ!」

叫び出した三成が可愛くて仕方がない。
左近は笑い出すのをこらえながら、口を開く。

「いい加減にしないと本気で凍えますからな。殿、ちょっと失礼しますよ」
「っ、さ、さこん」

ひょいと軽く三成の体を抱き上げ左近はすぐ後ろの襖を開き足を踏み入れる。

「殿、こんな所にまで布団が飛んでますよ。寝相が悪いですなぁ」
「そ、そうではない!こんな所まで布団が飛ぶわけないだろう!」

敷かれたままの布団の上に胡坐を掻いて足の間に三成を座らせる。
後ろからその体を抱きしながら、拾い上げた布団で包む。

「殿、こんなに朝早く何をしてたんですか」
「お前こそ何をしてたんだ?」
「いい加減に寝過ぎて退屈だったんで、殿のお顏でも拝見しようとかと思いましてね」
「早すぎるだろう」
「起きてたでしょう?」
「俺が起きてると?」
「何となく」
「ふふっ、左近は凄いな」
「そんな可愛い顏して笑わないでくださいよ」
「し、痴れ者っ!」

背中に寄り掛かりながら三成は左近の太腿を叩きながらふと鼻の奥がつんとする。
こんな何気ない会話を交わせる事が素直に嬉しいと思う。

「寝ちゃってもいいですよ。今日はずっとこうして左近が殿の睡眠をお守りしますから」
「…眠くない」
「嘘仰い」
「嘘じゃない。それにもう少しで起きる時間だ」
「今日はお休みです」
「勝手に決めるな」
「では、話し合って決めますか」
「…そういう気分ではない」
「では、どういう気分ですか?」
「…意地が悪いぞ」

むっと口を閉ざせば、左近が小さく笑う。

「笑うな」

言い返しながらも笑いが込み上げてきた、三成も笑い出す。
ぬくもりと声が愛しくて仕方がない。

「殿も笑ってるじゃないですか」
「うるさい、俺はいいのだ」
「じゃ左近もいいじゃないですか」
「駄目だ」

ころころと笑う三成の体を抱きしめながら、左近も笑う。
ふわふわと揺れる髪に口付けて、その頬にも唇を押し当てる。

「殿、殿」
「ん…っ」

項から鎖骨を唇で味わえば、三成が首を動かし左近を呼ぶ。
視線を合わせ、唇を重ねればすぐにそれは激しさを増す。

「さ、こ…んっ」

三成が上半身を捻り、両手を目の前の太い首に回す。
ぎゅっと力を入れれば、すぐに腰を引き寄せられ、互いの体が重なる。

「ぁ、っ…」

唾液が零れるのも気にせず舌を絡め合い互いの体温を感じ合う。
三成の背中に当てられた左近の手が動きその体を布団の上に押し倒せば、強い力で肩を
捕まれゆっくりと唇を離す。

「左近、お、お前、は、腹の傷」
「塞がってます」
「そういう問題ではない!」
「では、上に乗りますか?」

しれっと返され、三成は目の前の男の頬を抓り上げる。

「馬鹿者っ!もっと駄目だろう!考えろ!」
「い、いたたたっ、ちょ、と、との、痛い、痛いです」
「馬鹿な事を言わんと約束するか?」
「し、します」
「よし」

満足気に頷き三成は手を離せば、真っ赤になった頬を撫でながら左近が嬉しそうに
笑っている。

「確かに今しちまったら間違いなく傷が開くかもしれませんなぁ」
「まだそんなに悪いのか?」

途端に不安げに揺れる鼈甲の眼差しを受け止め、左近は首を横に振る。
二人して向き合うような体勢で横になりながら、視線で触れ合う。

「加減が出来ないって話ですよ。触れちまったらきっとわけが分からなくなっちまい
そうでね」
「…っ、は、恥ずかしい奴めっ」
「仕方ないでしょう。どのくらい触れてないとお思いか。
殿が足りなくて左近は泣きそうですよ」
三成の顏に掛かった髪を掻き上げてやりながら、そんな事を口にする。
「泣くな、左近」
慈しむ様に泣きそうだと告げた男の目尻に指先で触れ、そっと頬を撫でる。
「はい」
「ぁ、そ、その、なんだ…まぁ、あれだ、うん」
「殿?」

三成はそっと膝立ちになり、目の前の男の首を己の胸に抱き寄せる。

とくんとくん。

生きている音が左近の耳に届く。

それはとても心地よく、そして愛しい。

「ち、ちゃんと治ったら、ほ、褒美をやる!」

途端に早くなった音に左近は静かに微笑んだ。

共に、共に。
何処までも、何処までも。




20120103

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