共に、共に。



情けない話、種子島を食らったのは初めてではない。
貫かれてすぐぬるりとした感触は、戦人としてなら皆知っている鮮血。
舌打ちをしたまま、己の獲物を肩に担ぎなおし怒声と共に激しい嵐を起こす。
馬上からの攻撃のせいかいつもより視界が広く感じられたが、それは腹から
流した血のせいで体が激しい興奮状態なのだとすぐに気が付く。
白くなる前にどうにか少しでも三成が居る陣に突撃しようとしている馬鹿な
連中を抑え込まなくてはならない。


地面を染める赤が己のなのか他人のものかそれすら判断がつかない。
腰に巻いている白い陣羽織がそれを吸い続ける。

―― 島殿っ!

近くに残っていた部下に声を掛けられ、左近は軽く舌打ちをする。
わかっている、わかっているのだ。

このまま進むわけにはいかない。
一度、陣に戻り手当てをしなければならない事は、己が一番分かっている。

だが今、数々の裏切りによって完全に東軍の士気が上がり、
現状は最悪だ。

―― 島殿っ!

鋭さの中に縋る様な音が混じり、左近は掴んだ手綱の方向を一気に変え、
走り出す。

―― すぐに戻る。今暫く堪えろ。

腹に鉛玉が埋まっているとは思えない様な冷静な声を発し、左近は陣に戻る。
出来れば、その場所だけは避けたかったが仕方がない。

余裕がないのは事実だ。





「すまない、止血を頼む」

馬上から下りた瞬間、軽い眩暈を感じるが歯を食いしばり堪える。
脳天を突き上げるような痛みが続いているが、
今はそれに感謝をしたいくらいだと左近は軽く笑う。

痛みが遠のいたら最後、すぐさまあちらに足を突っ込んでしまう。

「締め付けますが、よろしいか」
「あぁ、遠慮せずに思いっきりやってくれ」

自分以上に血の気の引いた従者にそう告げれば、何度も頷かれる。

「ぐっ…」

口から洩れる声を飲み込み左近は拳を握ろうとするが震えてしまいうまくいかない。
使い物にならなくなってしまうのは、この戦の後にしてくれ。心の中で罵詈雑言の様に吐き捨てた瞬間、空気が変わった。

「左近」

陣の奥から現れた三成が冷静にその名前を呼べば、回りに控えている者達や左近の止血をしている従者が一斉に視線を向ける。

「殿、すいませんねぇ、ちょっとだけ休ませてもらいますよ」
「あぁ、かまわん。好きなだけ休め。お前が次に出向く時には全ての決着がついている」

そう言いながら三成は腰にさしていた扇子を抜き、掌をそれで叩きながら口角を上げる。
なまじ整っている容姿のせいかそういう仕草は酷く冷笑に見えるが、その場に居た人間の目にはそうは映らない。

扇で掌を叩くその音がいつもより緩やかなのは――
対立している相手が誰一人も居ない場所での冷笑は――
筆頭家老を呼ぶ音が静かなのは――

「殿、失礼でなければ御傍に寄ってもよろしいか?」

問い掛けながらも既に左近は腰を上げている。
止血で巻いた布は既に赤く染まっていて、まだ終わってないと心配そうに見上げてくる従者に礼を言った瞬間、鋭い音が飛んで来る。

「お前は馬鹿かっ!」

少し離れた距離に居た三成が左近に近づき、背伸びをしてその肩を押えつける様にして元の位置に座らせる。

「っ…と、殿、手加減してくださいよ。いちおう左近は怪我人ですぜ?」
「なら大人しく座っていろ!」

三成の声は、叱咤する様な、小さな音のくせに悲鳴に似ていて左近は顏を顰める。
種子島の銃弾の痛みよりも、それは酷く心を抉るのだ。

「お言葉に甘えさせてもらいますよ」

くだけた口調を崩さずニヤリと笑えば、三成の視線が少しだけ緩む。
それはたった一人にしか分からない程の変化だが、左近は少しだけ安心する。

「島殿、今一度よろしいですか」

しっかりと手当てが終わらない内に動いたせいで、巻いた筈の布が緩くなってしまったのか、申し訳なさそうに告げる従者に頼むと告げれば
赤く染まったそこに白い指先が添えられる。

「殿…」
「俺がしてやる」

三成は従者に少し下がれと穏やかに言い放つ。

「手加減してくださいよ」
「なに?さっきは思いっきりやってくれと言ってたではないか」
「殿の力でやられたら堪ったもんじゃないですよ」

三成の獲物は大きな鉄扇だ。
誰しもが最初は、その外見に似合いの貧弱な物だと嘲け笑うが、一度でもその威力を目の前で見たら何も言えなくなるだろう。
聞いた話によれば、馬上から落ちそうになった天下人秀吉を片手で軽々と持ち上げ元の位置に座らせたとの事。
それに、鉄扇は外見こそ派手で軽やかに見えるが、それは普通の刀よりも大分重い。
普段から斬馬刀を使う左近ですら、手にした時に舌を巻いたものだ。

「左近、これを持っていろ」

戦場で使う獲物ではなく、普段から三成が愛用している扇子を渡され素直に受け取る。
ふわりと漂った香は一番知っている愛しい人のそれ。
ぐっと喉を詰めれば、まだ何もしてないぞ。と不思議そうに言われ、苦笑するしかない。

「戦中なのに、殿は本当に罪な方だ」
「…またよからぬ事を考えているな」
「痛みから気を逸らすためですよ」
「言ってろ」

軽口を叩きあいながらも意識は陣の外に向かっている事を互いに分かっている。

状況は間違いなく西軍が不利だ。
小早川らの裏切りに関しては既に十中八九分かり切っていた事だが、仲間内の士気が下がっている。


「左近」
「はい」
「っ…殿」

その片手が些か乱暴に左近の後頭部に回され、少し腰を屈めた三成の肩口に押し付けられる。

「暫し耐えろ」

言葉と同時に強く布が巻きつけられ、左近は低く呻く。
密着した体から零れるのは生きている音。
三成はじわりと布を染める赤い血をしっかりと目に焼き付ける。

「左近、出来たぞ」
「ありがとうございます」

肩口に顏を埋めたままに礼を言われ、そっとその耳元に唇を寄せる。

「必ず、生きて戻れ」

力強く願い、崩れそうになる声を必死に奮い立たせながら三成は命じる。

「御意」

顏を上げしっかりとした音で返す男と視線を交わしながら三成は左近の震える指先を掴み口元に持って行く。
そして、血で泥で汚れている指先に歯を立てる。

「忘れるな、左近」

何をとは聞かない男は、震える指先に感覚がなかった筈なのにその痛みだけは分かった。

「…決して、決して忘れませぬ」

その約束は、己に…そして、誰よりも愛しい主に向けて。



20120101

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