恋焦がれ



昨夜、数週間続いた激務の果て、秀吉に呼ばれた宴の席への帰り道三成は軽い眩暈を起こした。
元々酒に強くない体質のせいか、進められても御猪口に口をつける程度で止めているが、
その日は舌を濡らした程度で限界が訪れたのだ。
誤魔化しながら何とか数時間耐え、泊まっていけばいい。という秀吉とねねの言葉を丁重に断り城を出た。
付き添っていたのは、筆頭家老でもある男。
ここ数週間の忙しさは自分だけではなかった筈、
少しは休ませてやろうと思い他の者を連れて行くという三成の提案は簡単に却下された。
―― 是が非でもお供させてくれませんかね?
軽い口調は何時もの事、だがその眼差しの奥の真意は三成にしかわからない。
―― お前が構わないのなら、付いて来い。
そう返し小さく心配者め。と続けて返せば困った様な笑みが返ってきて三成は唇を噛んだ。
人を食った様な笑みや穏やかな笑みは、左近を知る者なら誰しも一度は見た事がある。
それくらいこの男は笑みを絶やさない。
だから自分にだけ見せる男の表情に三成は何時も堪らない気持ちになってしまう。


城にゆっくりとした歩みで向かいながら左近は三成を気遣った。
宴会の合間に何度か白湯を手渡し、注意はしていたつもりだったが、
さして酒を口にしていなのにすぐに三成の頬は赤くなり、その後は色を無くした。
気丈な主は決して主である秀吉公の前では何事もなかった様にふるまい、
時折はにかむ様な笑顔すら見せている。
多分、本人ですら本気で己の体調の悪さに気が付いていないのだろう。

城門の灯りが徐々に見えて来た瞬間、無意識に三成の足が速くなった。
「殿…」
咎めるつもりではなく声を掛けた瞬間、がくりと三成の体が前に傾いた。
咄嗟に腕の中に抱きかかえ、左近は片足を地面に折る。
「殿、左近です。分かりますか?」
怖がらせない様に頬に手を当ててやり、震える瞼がぼんやりと開くのを待って声を掛ける。
立ちくらみを起こしたその体は少し熱を持っていた。
「…わかる。すこし眩暈がしただけだ。平気だ」
「だから左近がおぶってさしあげると言ったのに」
「…寝言は寝て言えばかもの」
「寝ながらですか、そりゃいいですね」
「…何がいいのだ」
左近の腕の中でいまだに力の入らない三成の体を抱きしめながら体温を分ける様にして、抱え込む。
時刻はあと少しで日が変わる。
三成が文句を言おうが暴れようが無理にでも抱き上げて後少しの距離を進む事は可能だが、
左近はそれをしなかった。
約束事をしてもらおうと思ったのだ。
「閨で殿が俺の背中に乗ってくれるのかと思うと興奮するじゃないですか」
「い、意味がわからん!」
「こうなんて言うんですかね。甘えられている感じがして堪りませんなぁ」
「そ、想像するなっ!痴れ者っ!」
「顏に出ちまいましたか?これはこれは失礼しました」
「左近っ!」
「とーの、そんな真っ赤な顏して、かわいいですなぁ」
「ニヤニヤするなっ!馬鹿者っ!」
「ほら、暴れないでください。少し大人しくしていたら、落ち着きますから」
「お前が悪い」
「謝りますから、ね?少しだけじっとしててください、じきに眩暈も治まりますよ」
「…そんなに飲んでいなのだよ」
「えぇ」
「昨日もちゃんと寝た」
「はい、それも知ってます」
「…左近」
「疲れが溜まってたんですよ」

自分の体力の限界を知らないで無理をしてしまう事を三成は恥じている。
だが、手を抜いたり途中で投げ出す事はもちろん、切れ過ぎる頭を持っているせいか、加減がうまく出来ない。
見兼ねた家臣が忠告しても、大丈夫だ。と呑気に返すのだ。


これがいけない。

佐和山の狐と呼ばれ、融通が利かない、頑迷な者である。
言い様は様々だが、三成の周りは敵が多い。
傍から見れば些細な事でも三成が関わっているというだけで話は何倍にも飛躍され何時の間にか一番の根源になっている事も多々あるのだ。
人よりも先が見えてしまい、時には必要な遠回りな物言いを苦手とするせいか、ぶつかる事が多い。
佐和山に勤める者達は噂に聞いた主の姿に皆が最初は怯えるが、すぐに気が付く。

そして、誰しもが「うちの殿は」と気軽に口に出す様になるのだ。
確かに三成の気性は苛烈な部分もあり、時に手厳しい事も平気で口にする。
だが、真っ直ぐな心根は例え本人が口にしなくてもしっかりと伝わるものなのだ。

そして、佐和山の殿様は一度懐にいたれ人間に関しては、ふと子供の様な素直さを見せる時がある。
無意識にそんな行動を取られては、家臣達は堪ったものではない。

城に勤める男も女も三成の事が心配で仕方がないのだ。

そんな現状はを目の当たりにしている筆頭家老は苦笑しながらも、そんな主を誇りに思っている。

「皆のいう事をまた無視してしまった」
「殿」
「分かっているのだ。だが、何も体が不調を訴えていないのに休む事は俺には出来んのだよ」
「まぁ、あれですかね」
「なんだ?」
「殿には少しだけ遊び心を持っていただけたらと思いますよ」
「遊び心?」
「仕事も大事です、それは分かります。ただ、そうですなぁ、たまには庭の花を眺めるだけの時間をあえて作ってみるとか、後は、あぁ、そうだ。
あそこの店とあっちの店の団子はどちらか美味いか食べ比べてみる」
「は?」
「どうですか?中々いい遊び心だと思いませんか」
「…よく分からぬ」
「店の場所なら左近が知っていますから、喜んで案内しますよ」

そういう事ではない。そう口にしようと思ったが、三成は一度だけ目を伏せる。
あぁ、どうやって伝えればいい。
この男の言いたい事がゆっくりと溢れて、触れた場所から流れてくる。
素直に愛しいと感じる。
だがそんな事を素直に言えるなら、苦労はないのだ。

殿。と呼ばれゆっくりと目を開けば、少しだけ目を細めた左近がやっぱり困った様な顏をしている。
どうしていいか分からなくて誤魔化す様に胸元に顏を押し付ければ、耳に心臓の音が届く。
ふいに鼻の奥がつんとして、三成は誤魔化す様に左近と呼ぶ。

「はい」
「左近…」
「ねぇ、殿。左近のお願いを一つ聞いちゃくれませんかね」
「…いいだろう、言ってみろ」

願いを告げる前に承諾されてしまい、左近はまいったな。と心の中て呟く。
どうしょうもなく困ってしまう。


中々話の先を口しない左近に焦れ、三成が顏を上げれば近い距離に左近の顏があり、ゆっくりと視線を合わせる。

「どうした左近。俺に出来る事ならしてやる。構わないから言え」
「左近がとんでもない事を言い出したらどうするんですか」
「とんでもない事?ふん、それはむしろ聞いてみたい」

挑発的に返してくる三成の言い方は子供の様だと思う。
それはそこに悪意がないからだ。
信用されている。
当たり前の事を今更改めて感じながら、左近は柄にもなく言葉に詰まる。
言葉遊びは得意だ。
互いの心を隠しながらのらりくらりと楽しむ。
そんな夜を幾度も過ごしてきた。

「左近がもし悪い男だったら大変ですよ」
「もしじゃなくてお前は十分に悪い男だ」

うんうん。と頷きながら三成は自分の言葉に頷いている。
素直なのか失礼なのか分からない言葉と態度に左近はくくっと低く笑う。

「では、悪い男なのでお願い事を一つ増やさせていただきましょうか?」
「それは悪い男ではなく図々しい男ではないか」
「まぁまぁそんな細かい事は気にせず」

体に力が戻ってきたのか、左近の胸元を掴んでいた手の片方が左近の頬の傷にそっと触れ、ぎゅっと抓る。

「い、痛いですよ、殿」
「ほら、早く言え。お前の願いはなんだ。俺は気が長い方ではないのだよ」

自分の頬を抓る三成の細い手首を掴み、そっと己の口元に持って行く。
最初にこの指先を見た時はその端正な顏に似合う美しいものだと思った。
容姿の事を言われるのを三成は酷く嫌う。
だが男でも女でも綺麗な人間を見て素直にそう思う事を左近は悪い事だと思わない。
それに、三成が容姿だけではない人間だと言う事は誰よりも傍に居る自分が知っている。
自惚れでも何でもなくそれは真実だ。
秀吉公や北政所、子飼いの加藤清正や福島正則、それに無二の友の大谷吉継、
自分よりも三成と付き合いの長い人間よりも近い位置に居たいと口には出さないが思っている。
ここまで己の度量が狭いと知ったのは、三成と出会ってからだ。

「一つは、明日は一日ゆるりとお休みください。暇だと申すのなら左近がいくらでもお相手いたします」

その途端三成の頬がいや耳までもが真っ赤になり、左近の腕の中で暴れ出す。
どうしたのかと顏を覗きこんだ瞬間、思いっきり視線がかち合い左近はその理由を知る。

「成程、そういう手もありまするな」

わざと神妙な口調で答えれば、三成の掌が降ってくる。
それを顎を上げて避ければ首筋に掌が当たり次に胸元。

「ばかもの!お、お前という奴はっ!」
「殿が勘違いなさったんですよ。左近はそういう意味で言ったんじゃないんですけどねぇ」
「うるさいっ、うるさいっ」

暴れる体を抱きしめながら、左近は立ち上がる。

「うわっ!」
「暴れちゃ駄目ですよ。落としたりは絶対にしませんけどね」

いきなり抱き上げられ三成は瞬間的に左近の首元に両手を回してしまう。
もうそれは癖の様なもので、はっと気が付いた時には左近は歩き出している。

「さ、さこんっ!」
「で、もう一つがこれです」
「これとはなんだ!」
「殿を城まで運ばせてください」

ずんずんと歩く左近に向かって下せ!と叫ぶが涼しい顏をして無視をされる。
挙句の果てに、これはとんでもない事じゃないでしょう?と言い返し三成はむっと口を閉じるしかなかった。

「左近」
「はい」
「…ちゃんとお前のお願いも聞いてやる」

先の二つはお前のではなく俺の願いだからな。小さく告げられた言葉を聞き、
左近はあやうく目の前の小さな石に躓きそうになってしまう。

「っと」
「ばかもの!しっかりと運べ!」

ぎゅっと抱き着いてきた三成の体をしっかりと抱え直し、左近は城への道を歩き出した。



20120101
*別名義でピクシブに上げてましたが、こちらに移しました。

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