団子、金平糖、饅頭



廊下のほぼ中央で二人の男が睨み合っている。

一人は、どちらかと言えば獰猛な眼差しで相手を睨み。
一人は、顎を上げ見上げる様にして鋭い視線で相手を射抜いている。

身長差は黒い髪の男の方が大分高く、わざとらしく身を屈め威圧する
様にして一方的に怒鳴り声を上げる。
対してもう一人は、赤銅色の髪の色をしている美丈夫だが、怒りのせいか
涼しげな目元が赤く染まっており、薄い唇を静かに開く。

「…鬱陶しいのだよ」

利き腕にもった扇子をもう片方の掌に苛々と打ち付け、一瞥をする。

たった数秒前まで黙って聞いていた美丈夫の放った一言に、男は
一気に血を登らせる。

「てめぇ、三成…っ」

胸倉を掴み上げ様と伸びて来るそれを三成は扇子で潔く払う。

「っ、なにしやがるっ!」

打ち付けられた場所をもう片手で押えながら男は吼える。

「正則、貴様の言いたい事は大体聞いてやった。これ以上は時間の無駄だ」

呻り声を上げている正則の横をすり抜け三成は歩き出す。
背中に罵詈雑言を口汚く罵っている声が聞こえたが、
後を追ってくる気配をない。


「…左近の言った通りだな」

小さく呟き三成は早足に大阪城を後にした。




騒がしい音が聞こえ、襖の前で立ち止まる。
それはよく知った家の者の気配で左近は横になろうと思っていた布団から立ち上がり、どうした?と声を出す。
刻は深夜に近い。
緊急の事柄だと察し、襖を開けば見知った男が何処か困った様な顏で左近を見上げてくる。
「おい、どうした?」
「殿がいらっしゃりました」
「は?」
刺客か曲者か、城で何かがあったのか。あらゆる可能性を頭の中で想定していた左近は、思わず間抜けな返答を返してしまった。


「殿!」
ぎしぎしと廊下が不快な音を立てるが、今の左近に構っている暇はない。
少し開いている襖を乱暴に開ければ、湯気が立っている膳の前に己の主がちょこんと正座をして座っている。
背筋を伸ばし凛としている姿は、その手に鉄扇を握っている時も筆の時も箸の時も変わらない。
ただ、いつもより空気が張りつめていないのは三成が少しだけ気を抜いているせいだろう。
「邪魔している」
何処かのんびりとした口調で言われ、左近は一気に体の力が抜けて行く感覚に落ちた。
「…どうしたんです」
同じ様な姿勢で三成の前に腰を下ろせば、湯漬けと漬物が見える。
「…腹が減ったのだよ」
小さく返され、左近はそっと目を細める。
その理由は本音を隠した言葉だと分かっているが、三成は本当の理由を言いたくないわけではないのだと察する。
「では、折角なので左近も同伴させてもらいますよ」
傍に仕えていた小姓に言い付けをし、ついでに酒も用意させる。
「では、いただきます」
暫く二人は他愛もなす会話をしながら箸を動かし、茶を啜る。
そろそろ酒を呑もうかと手を伸ばした瞬間、三成が徳利を掴む。
「注いでやる」
「そりゃ嬉しいですな」
頬を綻ばせ三成からの酌を受け、同じ様に酌を返す。
くいっと一気に杯を開ければ、すぐに三成が注いでくる。
「殿、左近を酔わせてどうするおつもりか?」
「…痴れ者め」
言葉は裏腹に三成の機嫌はいい。
こんな事なら酒は己の部屋で飲めば良かったと考えながら、左近は少しだけ襖を開く。
三成に触れたい気持ちはあるが、今はそうではない気がしたのだ。
だからせめてもの悪あがきのため、外の空気を吸う。
「殿、今夜の月は明るいですなぁ」
隙間から見えるだけでも十分にその明るさが分かり、三成は小さく息を吐く。
「あぁ、だからか」
疑問の答えが出たかの様な三成の呟きに左近は視線で問い掛ける。
「…今夜は随分と明るいと思ったのだ。空を見上げてみれば答えはあったのだな」
「殿は何をそんなに深刻に考えておられたのですか」
本来ならろくに供もつけずに深夜近くにいきなり己の所に来た事をまず叱りつけ、
今夜留まる予定だった秀吉公の城で何があったのかを聞き出す筈なのに、順序が狂った。


何時でもそうだ。


三成の動向が眼差しが思考が気になって仕方がない。
石田家に召し抱えられ、筆頭家老となり、誰よりも近くにいると自負している。
主従という関係でありながらも自分達は情人の間柄でもあるのだ。

日々募る愛しさがこんなに深いものだと、左近は初めて知った。


「団子、金平糖、饅頭」
「え?」

まさか、今それを所望されているわけではないだろう。
三成の口から飛び出した言葉に左近はどう返していいか分からず、その顏を覗き込む。
色素の薄い目の色は何時でも真っ直ぐと穢れなど知らないかの様に左近を射抜く。
だが、その奥に抱えている三成の業を男は知っている。

「左近…」
「殿、謎かけですか?」
「馬鹿者、そんな小僧の様な事をするか」
「では、教えてくださいよ」

左近の尤もな問い掛けに、三成は一度だけ目を伏せる。
そして、ゆっくりと唇を開いた。


「あの馬鹿が懲りずに意味の分からぬ因縁をつけてきた」
「あぁ、今日は清正さんが居なかったんでしたっけ?」
「清正が居ても居なくても関係ない」

むっと頬を膨らませた三成を見つめながら、左近は小さく笑う。
小僧ではないかもしれないが、その姿はもっと幼い童の様だ。

「はいはい、それでどうしたんですか」
「…だから、俺は考えたのだよ」
「殿は何を考えたんですか?」

穏やかに優しく問い掛ければ、三成の手がそっと伸びて来て左近の寝着の裾を掴む。

「…腹が立った時、好きな物を考えろと言っただろう」

小さな声で呟き三成は顏を下に向け言葉を続ける。

「だから、そうしてみたのだ」

三成の音を聞きながら、左近は思い出していた。
確か、何時もの様に政務に追われあきらかに容量を越してしまっている三成を休ますために、
お気に入りの甘味を一揃えして、強引にお茶の時間を取らせた時に交わした会話だ。
ふと、正則や清正の話題になり三成は気難しい顏で言った。


―― 俺だって好きで揉めてるわけじゃない。


零れる様に溢れた言葉は三成の心根の奥にある真実。
それが左近には十分分かっていた。
この不器用な主が、誰よりも豊臣の先を願っているか。
そして、共に育った者達を血の繋がりよりも深く思っている事を。
だから、提案してみたのだ。
ただの気分転換でも絵空事だと思われてもいい。
少しでも三成の心が晴れるならと、左近はそれを口にした。

―― 清正さんはともかく、正則さんの場合はとにかく言いたい事を黙ってる事が出来る様な器用な方じゃ
ないですからねぇ。まぁ、言いたい事を吐き出してしまえば案外けろってしてる御仁だ。

―― まぁ、一理あるな。だがあの馬鹿の怒鳴り声をただ黙って聞いているなんて俺にはできん。

―― そこは殿が大人になるしかない…あぁ、そうだ。

―― なんだ。

―― 大した事じゃないですけど、聞いてくださいますか?

―― あぁ。

―― 今ね、思い付いた対策なんですけどね。

―― 勿体ぶらずに言え。お前の言う事なら聞いてやらん事もない。

―― では、殿……



「好きな物を思い浮かべる。ですか」

あの時と同じ言葉を口にすれば、三成が頷く。
ふわりと揺れる髪に左近は顏を寄せて口付ける。

「な、なんだ、いきなり!」

顏を上げ耳まで真赤にして叫べば、左近が苦笑をする。
幾度も想いを伝え、何度も体を繋げているのに、何時まで経っても慣れない愛しい人。

「ちゃんと殿が左近の提案を実行してくれたのが嬉しいんですよ」
「…試してみたのだ」
「えぇ、どうでしたか?」
「…悪くなかった」

赤く染まっている耳に唇を寄せて左近は、それは良かった。と囁く。

「っ、さ、左近っ」

掴んだ裾から手を離し、三成は両手で左近の体を押し返す。

嫌なわけじゃない。
だけど、触れられて唇を塞がれたらもう後はひたすら夢見心地に気分にさせられ、深い快楽に落とされ
何も考えられなくなってしまう。

まだ、伝えたい事がある。

「はい」

穏やかに返事をされ、頭を撫でられる。
こうして言葉なく伝わる事が嬉しくて仕方がなくて、少しだけ切なくなってしまう。

もっとちゃんと伝えられたら、この男と同じ様には無理でも、少しでもと思ってしまうのは、
触れられる事、伝えられる事がどれだけ嬉しいかを心で体で知ったからだ。

「俺はちゃんと左近の提案を実行した」
「えぇ、頑張りましたね。ご褒美に明日、殿の好きな甘味を左近が用意しますよ」

優しく笑う男を見つめ、三成はふいに胸の奥がぎゅっと痛くなる。
焦がれて想っていると実感する瞬間。

「左近が、用意してくれるのか」

そう言いながら三成は押し止めていた両手から力を抜き、目の前の厚い胸板に額を押し当てる。

「はい、左近が用意いたしますよ」
「…なら、もう一つ用意しろ」
「構いませんよ。殿の好きな甘味といえば、後は羊羹とかですかねぇ」
「…違う」

吐息の様な音で否定をした三成の空気が色を変えれば聡い男がその瞬間を見逃す筈もなく、
左近はそのまろやかな頬に手を添えて上を向かせ視線を合わせる。

「殿」
「…左近」
「はい」
「呼んだのではない、馬鹿者」

頬も目尻も真っ赤にして三成は甘味を強請る子供の様に唇を尖らせるが、視線の艶っぽさに左近は喉を鳴らしてしまう。

「左近を御所望か?」

佐和山の主と同じくらいに頭の切れる筆頭家老は、すぐに三成の言いたい事に気が付く。

「褒美をもらってやる」

そんな可愛い返しをしてくる唇に左近は優しい口付けを仕掛けた。


―― 団子、金平糖、饅頭…左近。



20120101

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